武蔵野 (抄)

作者名  国木田独歩 (1871-1908)
作品名  武蔵野
制作年代  1898(「今の武蔵野」)
収載書名  『武蔵野』
刊行年代  1901
 その他  
 ・・・
 昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢の類で冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野一斉に行われて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、様々の光景を呈するその妙はちょっと西国地方または東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類の落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見当たらない。自分も西国人となって少年の時学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは近来のことで、・・・
 
 楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨がささやく。凩(こがらし)が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。木の葉落ち尽せば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気が一段澄み渡る。遠い物音が鮮かに聞える。・・・

 林に座っていて日の光のもっとも美しさを感ずるのは、春の末より夏の初めであるが、それは今ここに書くべきではない。そのつぎは黄葉の季節である。半ば黄ろく半ば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさ言いつくされず、日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというのも特異の美観ではあるまいか。

 ・・・武蔵野には決して禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原のようで、つしむ高台の処々が低く窪んで小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。この谷の底は大概水田である。畑はおもに高台にある。高台は林と畑とで様々の区画をなしている。畑はすなわち野である。されば林とても数里にわたるものなく否、おそらく一里にわたるものもあるまい。畑とても一眸数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入り組んでいて、たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出るというようなふうである。それがまた実に武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような、自然そのままの大原野大森林とは異なっていてその趣も特異である。
 稲の熟する頃となると、谷々の水田が黄ばんで来る。稲が刈り取られて林の影が逆さに田面に映る頃になると、大根畑の盛で、大根がそろそろ抜かれて、かなたこなたの水溜または小さな流れのほとりで洗われるようになると、野は麦の新芽で青々となって来る。或いは麦畑の一端、野原のままで残り、尾花野菊が風に吹かれている。萱原の一端がしだいに高まって、そのはてが天際をかぎっていて、そこへ爪先あがりに登って見ると、林の絶え間を国境に連なる秩父の諸嶺が黒く横わっていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線下に没しているようにも見える。・・・

(テキストは現代表記による。)
 触れられた植物   ススキコナライネダイコンムギノギク

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